帯原さんと神原さん




     ☆
  帯原さんと神原さんは全然似ていない。黒の短髪にセブンスター、左右非対称の顔で笑う帯原さんは、
伸びかけで色素の薄いくせっ毛、焦点を結ばない瞳の神原さんを、「永遠のモラトリアム志願」と呼んでい
るようだ。神原さんはそう言われてもちっとも応えたふうじゃない。はあ、と頷き、ですが非生産の高貴さ
について理解していただければ、とか何とか口の中で呟く。帯原さんはふふんと笑って、肯定も否定もし
ない。凡庸にして中庸たるぼくは、呆れて傍に突っ立っている。
  帯原さんが京都に行こうと言い出したときも、ぼくはだから乗り気じゃなかった。噛み合わない議論の
仲裁役になるのは目に見えていたし、彼ら二人の言い合いは興味深くはあるけれど、長時間付き合うの
に向いているとは言えないものだ。なのに断れなかった理由は、帯原さんの論理的説得と神原さんの上
の空の懇願と、それからぼくの優柔不断さ。よし決めた、プランは僕に任せてくれ、と帯原さんが立ち上が
って二度目の週末、ぼくらは既に京都に来ていた。
  やれやれ。そんな訳で目の前には清水寺への急勾配だ。



    ☆
 「あれが音羽の滝、ですか。諸願成就にご利益があるという」
 「そうだな。確か学力恋愛健康だったか。諸願という割には限られた範囲でしかも俗っぽいが、血の気が
 余った中高生の人気取りには打ってつけだ」
  もはや包囲されていると言ってもいいほど周りは中高生が多いのに、帯原さんは意に介した様子もなく
そんなことを言う。本人は皮肉のつもりもないのだろう、ぼくが咎めるようにちょっと、と囁くと、なんだ? と
不思議そうに返事した。仕事はできるくせに、彼はどこかが少年だ。
  神原さんは心ここにあらずの風情で木製の手すりにもたれて音羽の滝を見下ろしている。帯原さんの皮
肉(自覚なし)な返事も、ぼくの常識的で凡人的な窘めも耳に入らなかったようだ。この人もやっぱ変人だよ
な、と思いながらぼくは神原さんに声をかける。
「どうしたの? 何か面白いものでもあった?」
  はい、と神原さんは微笑んで答える。色が白い。性別が判らない笑顔だ。
「遊園地みたいだな、と思いまして」
「……えーと?」
  性別どころか住んでいる世界までが不詳だった。ぼくは反射的に込み上げたどこがやねん、という発音を
渾身の力で食い止め、なるべく紳士的なアクセントで問い返す。ぼくまでが突っ込みに回ってしまったら誰が
この旅行の収拾をつけるというのだ。突っ込み役は帯原さんだけで充分だ。
「ああ、なるほどな」
  さぞかし痛烈な一撃を繰り出すだろうと予想した帯原さんは、けれど、思いのほか穏やかな調子で神原さ
んに同意した。
「このアトラクションからあのアトラクションへ、友達同士できゃあきゃあ移動。楽しそうとかこんなジンクスとか、
確かにメカニズムはテーマパークと同じだ」
「はい、楽しそうで良いですね」
「……なるほど」
  よく聞けばズレているのだが、ぼくは素直に感心して二人の会話に頷いた。坂道を上る途中、両脇に並ん
だ土産物屋に引き込まれて動かない神原さんと、行きもしないうちから土産を見てどうすると揶揄する帯原さ
んとの間でうんざりもしたけれど、彼らには彼らなりに呼応する感性があるのだろう。というかこの旅行で初め
てまともな対話を聞いた気がするなあ、よく頑張っているなあぼく。
  感慨に耽っていると、帯原さんがいつもの非対称な笑みを浮かべ、滝の左手を指差しながら得意そうに付
け足した。指の先には、今をときめくカップルの聖地、地主神社。
「カップルが色恋に血道をあげるところも同じだな。ジンクス・祈願を建前に、他人に見られることで幸せを確認
する。平和な発想だ」
「いいじゃないか平和ってすばらしいことだよ」
  少なくとも(あんたみたいに)好戦的な奴よりは。ぼくは彼の背を押すようにして他人の眼から逃げ出した。



     ☆
  その後も帯原さんによる王朝文学における清水の舞台についての講釈だとか、神原さんによる清水の舞台
から飛び降りる度胸についての考察だとか、それに関する二人の意見の相違だとか、心静かに過ごすべき境内
で様々な白熱イベントは勃発したものの、どうにか無事に一日が過ぎて、ぼくらは旅館に辿り着いた。いったん別
れて昼間の汗を流し、浴衣に着替えて夕食を部屋まで運んでもらう。何故かぼくの部屋だった。
  まあいい。とにかく一泊旅行の前半は無事に終了したのだ。帯原さんも神原さんも機嫌よさそうに盃を重ねて
いる。今日回った寺社の印象、明日訪れる予定の絵画展への期待などを語らいつつ、旅行の密かな楽しみであ
るおみやげ購入について相談していると、やっと非日常の実感がやってきて、ぼくは静かに笑みを漏らした。なん
だかんだいっても、帯原さん神原さんのコンビをぼくが好いているのは確かだ。
  不気味な笑い方をするなよ、と帯原さんが眉をひそめる。酔ったんだよ、すごいピッチじゃないかと適当に答え
ると、神原さんがそれはいけませんと言いながらごそごそ袂を探ってのど飴を取り出す。ちょっとは気分がすっきり
するかもしれませんよ。どうして酔っ払いにのど飴を差し出すのかとか、そもそも浴衣の袂に物を入れておくのはど
うなのかとか、突っ込む順番を決めかねている間に、神原さんは続けて赤いものを取り出した。
「これは帯原さんの分です。少し早いですがおみやげということで」
「……え? あ、いや、」
  手渡された帯原さんはどぎまぎしている。神原さんは、そうだ私部屋に忘れ物をしたので取ってきますと珍しく
早口で言って部屋を出て行く。ぼくは「不気味な笑い」をいっそう深めて帯原さんを祝ってやった。
「よかったね。これで君も平和なカップル認定だ」
「……知ってたのか」
「うん。ちなみに今日の昼間に甘酒の店で神原さんが行方不明になったのは偶然じゃなくて故意だよ。よくあるこ
とだから君は気づかなかったようだけど」
  凍りついた帯原さんの顔が、耳から順に少しずつ赤くなっていく。廊下で右往左往している神原さんの頬もきっと
赤いだろう。今夜は帯原さんに付き合って夜明かしする羽目になるかもしれないな、とぼくは思う。彼女と二人だけ
で旅行する度胸もないのだ、こんなささやかな喜びでも眠れなくなってしまうに違いない。
  縁結びの神様は今日もご活躍だ。帯原さんの手の上で輝く地主神社謹製お守りを眺めながら、ぼくはもう一口、
酒を含んだ。

      



                                                               
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