075.ひとでなしの恋



 毎週土曜の昼下がり、ひとでなしは私の家でお茶を飲む。私達は午後いっぱいを使って
一週間分のおしゃべりをするのだ。
  ひとでなしは人間じゃない、勿論。ひとでなしは人間みたいに決まった形をしていない。
状況に応じて形も重さも大きさも変わる。その時の状態で体(と言って良いのかは判らな
いけれど)の色も変わる。
 「つまりこれはね、僕があらゆる意味で“人でなし”であるためなのさ」
  以前、ひとでなしは私にこう説明した。
 「“人間らしさ”の定義っていうのは状況によって変わるだろう? それはつまり、“人で
なし”の定義も刻々と変わっている、ということで――、僕はありとあらゆる人間らしさを放
棄した存在なんだからね、定義が変化するのに定まった形を保っている訳には行かない
んだよ。勿論、」
 ひとでなしは息継ぎをする。体の輪郭がふよふよとぶれる。
「外面的にだけではなく、内面的にもね」
 だから僕には感情なんてものもないんだ。好きとか嫌いとか、嬉しいとか悲しいとか、そ
れは全て人間の特権だからね。
「難しい話ね」
 私は途方に暮れて紅茶を飲む。ひとでなしは素知らぬ顔で窓の外を眺めていた。

 
 ひとでなしが恋をしたのは、穏やかな春の水曜日の午後だった。
「春は人を狂わせるって言うけれど」
 予定外の訪問に驚いている(言うまでもなく、ひとでなしは気まぐれなど起こさないから
だ)私に向かって、ひとでなしは悲しげに呟いた。
「どうして僕がおかしくなるんだ? 僕は"人でなし"すら失格なのかな?」
 そして二、三度、弱々しく青色に瞬いた。

                  
 それからずっと、ひとでなしは私の家で暮らしている。
 初めにひとでなし自身が話したように、ひとでなしはあらゆる"人間らしさ"を放棄している
ことが存在目的だから、恋なんていう感情を多く必要とする行為には、関わるだけで激しく
消耗してしまうのだ。存在を否定される、と言っても過言ではない。生きるためにはなるべく
感情を揺らさないように、つまりは想い人に関わらないようにするしかない。それ以外の全
てに対してなら、ひとでなしは相変わらず何の感情も持たないからだ。勿論、私に対しても。
 例えば、ひとでなしの想い人であるところの彼女を私が殺すことでひとでなしが救われる、
或いは私自身が人でなしになれる、と言うならば、私は躊躇なく彼女を殺すだろう。
 でも実際には、人を殺して人でなしになれる訳がない。人を憎んだり人生に干渉したりす
るのは人間の仕事だ。
「難しいわね」 私は途方にくれて紅茶を飲む。
 ひとでなしは相変わらず素知らぬ顔で窓の向こう、彼女の存在する外の世界を見つめている。