営む  五つの情景
                    


** 1 存在の自覚  **

 夜が更けると決まって頭痛で目が覚める。頭痛は今に始まったものでなく常に霞のように纏わりついているのだから今更
相手にしたくもないが、ひときわ存在を主張するように疼くのでそうも行かない。目覚し時計の代役かと諦めながら上体を
起こす、午前四時、これが最近の日課。
 冬至も近い季節だから空は未だ白んでもいない。やや藍が薄まり青や薄紫の片鱗が覗く程度で私に二度寝を唆す。どうせ
頭痛は治まらないからその手には乗らないが、早朝の爽快を歓び茶を喫する気分でないのも事実、私が喫する物と言えば枕
元の煙草くらいだ。たなびく煙が体の隅々まで細胞を侵した頃、やっと私の思考が開始する。今日一日の予定。



** 2 倦怠の充満  **

 私はチェスの騎士を気取って椅子に行儀良く座り講義を聴いている。女ならクインを名乗れと奴は言うだろうが、私は律
儀なナイトが好き。あの心もとない自由。信念ある理性って滑稽なものだし、
「        」  
  「     」
    「」
伏兵教授の威嚇射撃にも騎士は怯まないのだから。周囲には不戦敗で倒れた兵隊の群れ。扉を切り裂く硝煙を求めて、私は
ライターを擦る。



** 3 意図の断絶  **

 昼休みには友人と談笑がお決まりの幸せ。否定要素など欠片もないし探そうとする反抗も不要。しかし私は自分について
語っているのか? 誰の言葉で誰を語るか、人間とはその価値に尽きるのでは言葉は万能ではないのですしかし唯一のツー
ルだ過信してるのね君はペシミストかい?
 つまりは音の洪水。意味を押し流す為に意味を語る訳だ。
 さあ、煙草でも吸って。口を塞いで。
奴の催眠は覚醒のように鋭い。



** 4 容認の希求 **

 優雅な曲線を描くコートに身を包んで地下街を彷徨う。帰り道は真っ直ぐ帰らないことが特権に思えて、例えば本屋につ
い引き込まれる。静寂に並ぶ彩り豊かな背表紙達を眺めるのは楽しい。百円玉を握り締めうろつく幼児のように、ここに当
り籤があれば本棚ごと買うのだけどと夢想しながら、てのひらの上の可能性に心を弾ませる。
 ふと顔を上げると輪郭を失った自分が通りを往来しているのが見える。雑踏では誰もが個人でない。集団にすら成り損ね
た要素の行き交いが日常を形成するのだと気付いた頃には地上は既に日暮れ。とりあえず一服、なんて呟いても紫煙は夕日
に圧倒されて言い訳メッキを露呈し、私は防御も忘れて当ても無く祈りを囁くのみ。全ての《他》を駆逐する夕日が瞬時に
懐かしく。



** 5 常態の容認 **

 ……あの夕焼けとどこが違うのだろう、眼前に広がる暁の空に驕慢さはなく、愚鈍な温和さばかりが辺りを覆う。絶えず
形を違える雲の流れ、あれだって予定調和さ、と教えた学友を鼻で笑った奴。奴の自信に根拠が無いのは判っている、しか
し選ぶのはお前だ、と微笑んだ自信の裏付けだけは私にも出来る。寝床の中で反芻できる程度と日常を摘発し、諦観の飽和
で身を飾るのは明日でも良い、明後日でも、或いは晩年でも。遅くはない。
 斜めな抵抗を押し通そうとするその姿勢に敬意を。
 煙草を一本吸うだけの自由を逃げ場に

私は今日も窓を開ける。