002.階段
この階段を降りれば世界が変わるのだろうか。私はミケを抱えたまま眉をひそめて石段を見下ろしている。
足元にある階段は古ぼけ、角っこには苔なんて生えていて、とても魔法の階段には見えない。やっぱりあれは
迷信なんだ、それともミホちゃんの言ったとおり私が変な子だからこれが普通の階段に見えるのかな、話しかけ
てみてもミケは知らん顔で答えない。
溜息が出る。昨日学校で交わした会話を思い出す。
――あの丘の裏には階段があるんだって。
――その階段を降りたひとはね、違う世界に行っちゃうんだって。
――ううん、周りのひとは変わらないの。変わるのはホンニン。(発音がカタカナだった、大人の受け売りだろう)
――色も匂いも違うの、すごく変なの。言っても誰も聞いてくれないの。それで戻ってこれないの。
異次元に行っちゃうの? 私が会話を纏めるように尋ねると、イジゲン? とミホちゃんは顔をしかめた。また変な
言葉を持ち出して、とでも思っているのだろう。私は「小学生の割に大人びて」いるらしい。そのうえ物の見方が他の
人と違うものだから、小さな時から異分子扱いを受けてきた。
――ケイコちゃんはもとから変なんだから、
ミホちゃんは意地悪く笑って結んだ。
――階段を降りて、「あっち」に行ったらちょうど良くなるかもね。
「物の見方が違う」。誰かが私を紹介しようとするとき、これほどに正確で、また婉曲な表現はないだろう。
私に映る世界は、文字通り他人のそれとは色が違った。他人が赤と表す物を私は黄と呼び、黒と表す物を
紫と呼んだ。あるいは呼び方が違っていただけで、目にしている色(色素、とでも言えば良いのだろうか?)は
同じだったのかもしれない。けれどそんなことは問題ではなかった。呼び名が違うだけで充分だった。
そのようにして、私は他人に排斥されることを覚え、自分を偽ることを覚えた。
「物の見方が変わっている」と形容されるようになった私は、書物を読み耽る早熟な子供になっていた。
さあ、と風が吹く。風向きは横だったのだけれど、その風に押されるようにして、私は階段を降り始めた。
ミホちゃんの話はよく判らないし、信じるわけでもないけれど、数歩降りるくらいしてみたっていい。いつの間にか
目を瞑っている。世界が変わるのなら、その違いを劇的に感じられるように。
信じている、とおかしくなった。
とんとんとリズム良く降りて、一番下の段に腰かける。ミケを抱きしめて目を開けた。
「……なあんだ」
晴れ渡った空、ふんわりと軽そうな雲。風に揺れる木の葉はしなやかで、時折ざわざわと音を立てる。
「変わってないぞーう」
ふざけて大きな声を出してみる。驚いたミケがにゃあ、と鳴いた。
かすかな落胆を振り切るように、私は大きく伸びをする。
この眼に映る青と白と緑。皆には何色に見えるのだろう、と二秒間だけ考えた。
003.
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